はるのブログ

統合失調症、鬱病、不登校、引きこもり、閉鎖病棟を経験して学んだ事

改めて継続することの大切さ

こんばんは。

最近仕事に対してモチベーションが低下気味でしたが、両親に相談したら心が軽くなりました。みんな生活のために働いてる。良いこともあれば嫌なこともある。

仕事よりも婚活に力を注ぎたいと思います(笑)

 

一年前の現在はデイケアでリハビリでした。

一年半前は保護室でひたすら時間が過ぎるのを待ってました。

そのことを思うと今働けてることだけでも良しとしないといけないと感じました。

閉鎖病棟の自由のなさと比べたら嫌な仕事もストレスも小さなことに過ぎません。

初心を忘れべからず。

 

15歳から適応障害になり鬱病自律神経失調症睡眠障害希死念慮、引きこもり、双極性障害、そして統合失調症

いろいろ経験してきましたが、ようやく落ち着いてきました。

人生に絶望していた10代、20代。

悪いことがずっと続く訳ではなく、いいこともたまにあります。

神様がいるかどうかは分かりませんが、きっと善行を積めばその分いいことが返ってくると信じています。

そう、とにかく信じることが大切だと感じます。

あとは自信。

自分はできるという自信を持つこと。

 

僕は障害者雇用で働いていますが、給料も安いし仕事は単純作業だしあまり楽しいことではありません。でも生活するためには働かねばなりません。

これからは上手く割り切って1割の力で仕事に取り組もうと思います。

気楽にいきます。

働きぶりを見てくれてる人はきっといるはず。

でも、大切なのは家族、プライベートの時間です。

 

現在、引きこもってる方。

ゆっくり休んでください。

きっと時間が解決してくれます。

 

現在、不登校の子たち。

居場所は学校だけではありません。

保健室でもいいし、フリースクールでも通信制の高校でもいいです。

あなたの居場所は探せばきっと見つかるはずです。

 

24歳のごろ半同棲してましたが、仕事を辞めて彼女にも振られました。

7年付き合っていた最高の彼女でした。

今でもふと思い出したりします。

幸せになってほしいです。

心かそう思います。

 

結局人生はいいこと、つらいこと半分半分で最終的にはプラスマイナスゼロになると考えています。

人生は有限です。

人間はいつか死にます。

だからとにかく楽しく人生を送りたいです。

 

命だけは大切にして下さい。

死んだら終わりです。

 

僕は諦めません。

 

読んで頂きありがとうございました。

明日もファイティン!!!

閉鎖病棟での過ごし方

こんにちは。

9月に入ったというのにまだまだ日中は暑いです。

今日は閉鎖病棟でどのように過ごしていたかを書きたいと思います。

 

去年の1月に統合失調症が再発して医療保護入院となりました。

激しい妄想・興奮状態だった為、最初は保護室でした。

保護室には通算1カ月半くらいいたと思います。

外から鍵がかかっていて自分で外に出ることはできないため、やる事がなくひたすら時間が過ぎるのを待ってました。

楽しみは食事と面会でした。

朝昼晩と割とおいしいご飯でした。

面会は時間が限られているので一日15分くらいでしたが、保護室の間は両親がほぼ毎日来てくれたおかげで「必ず良くなって退院するんだ」という諦めない気持ちを保てました。

両親の支えのおかげで今社会生活を送れています。

午後2時になると部屋に射しこんでくる一筋の太陽の光。

長いこと外に出ていないと太陽が恋しくなります。

他にはお経を唱えたり軽く筋トレしたりして過ごしていました。

シャワーは3日に1回でした。

 

落ち着いた頃に閉鎖病棟の個室に移動しました。

ずっと一人だったところから、60人くらい他にも患者さんがいる場所に移動したので最初は落ち着きませんでした。

保護室とは違い自由が多少はききます。

飲みたい時に水が飲める、毎日歯磨きができる、毎日シャワーが浴びれる、売店に行けば食べたいものが食べれる、人と話せる。

病院で知り合った方とは「売店が生きがい」と冗談で話していました。

テレビは2台あって新聞も某新聞とスポーツ新聞がありました。

共同生活に慣れてないのであまり熟睡できずに朝4時半くらいに目が覚めてしまう生活でした。

夜もなかなか寝つけず眠剤を飲んで1時くらいに寝てました。

とにかくやる事がないです(笑)

療養することが一番なので当然ですが、時間を持て余してしまいました。

新聞を読んだり、差し入れの本を読んだり、レクリエーションをしたり、他の患者さんと話していましたが、早く退院して外の世界で自由になりたいとずっと感じていました。

結局、4カ月と再々発して2カ月の計6カ月入院してましたが、辛いことの方が多かったです。

ただ、唯一良かったことは、自分の他にも障害を抱えていること人がたくさんいること、当事者同士として色んな話が聞けたことは良かったです。

自分で事業をやっている方も多くてその点は今後の自分の人生観に少し変化をくれました。

十人十色。

本当に色んな人、いい人、悪い人がいるといい勉強になりました。

もう二度と入院しないように自分の病状をコントロールしていきたいです。

 

読んで頂きありがとうございました

入院半年で25キロ太ってから8カ月で13キロ減量した方法

こんばんは。

木曜日も終わりあと一日行けば休みなのでワクワクしています。

仕事は楽しくやるのが理想とだけど実際はそんな事はなく単調な日々を送っています。

 

今日は8カ月で13キロ減量した方法を書きたいと思います。

結論

①毎日体重を測る

②食事は腹八分

➂間食はなるべくしない。

④30分程度の運動(散歩)をする

➄汗かいて仕事する

 

上記五点が僕が実践したダイエットです。

本を買って勉強したわけでもなくお金もなるべくかけずでダイエットしました。

 

去年の半年の入院で約25キロ太りました。

閉鎖病棟では食べることしか楽しみがなかったので、毎食前にカップラーメンを食べていました。3時のおやつも売店に行き大量にお菓子や炭酸飲料を食べていました。

 

マックス85キロまでいきました。

現在約72キロです。

 

一番大切なことは毎日体重を計るという事です。

食べ過ぎた翌日には体重が当然増えます。

そこで「昨日は食べ過ぎたから今日は控えめにしよう」といった心境が出てきます。

この感覚がとても大切のように感じます。

2週間や1カ月単位ではなく毎日測りましょう。

これでけで結構効果あると感じます。

 

二つ目は腹八分で食事を抑えることです。

退院直後は腹一杯食べて体重も増加しましたが、働くようになり朝は軽くご飯とみそ汁。昼はおにぎり二つ。夜は野菜中心の食事にするように心がけました。

食べなければ人間誰でも減量できます。

運動よりも大切なのは食事です。

 

間食は全くしてはいけなとプレッシャーをかけるとストレスになるので、小腹がすいたときに軽くコーンフレークやコーンポタージュを食べていました。

 

四つ目は軽い運動です。

僕は夜の7時ごろにほぼ毎日30分程度散歩しています。

まだ暑さも残っているのでいい感じで汗をかいて少しは脂肪を燃焼できているんじゃないかと感じます。体重面でけでなく気持ちの分でもすっきりしますのでお勧めです。

 

五つ目は仕事で汗をかいたことです。

仕事柄、滝のように汗をかきます。

フルタイムで働くようになってかどんどん体重も落ちました。

ただ仕事で汗をかかない環境の方もいると思うのでこれは人それぞれです。

 

まだお腹周りは肉がついてますが、これから筋トレもして引き締めていこうと思っています。目指せシックスパッド!

 

健康のためにも肥満は避けたと個人的に感じます。

まだこれから10キロ落とさなければなりませんが、なるべくお金をかけずにダイエットしていきたいと考えています。

 

毎日体重測定。

これが重要です。

 

読んで頂きありがとうございました。

明日もファイティン!!!

 

統合失調症とは

こんにちは。

珍しく休みの日に早起きして散歩したり本読んだり過ごしていました。

早起きは三文の徳。

一日が長く感じます。

 

そもそも統合失調症とはどんな病気なのでしょうか?

本には「脳の統合機能が一時的に失調する病気」と書かれています。

いまいちイメージがつかないですね。

統合失調症には「陽性症状」と「陰性症状」があります。

陽性症状は妄想、幻覚、幻聴、話が支離滅裂になるといった症状が出ます。

僕の場合は妄想と幻覚と激しい興奮状態でした。

妄想でいうと例えばスナイパーに命を狙われている、国家に監視されているといった感じです。

今思えばありえないと冷静に考えられますが、急性期に入ってしまうと真剣に命を狙われていると感じていました。

症状は人それぞれなので一概には言えませんが、急性期になった場合早く病院に行かなければなりません。

陰性症状には感情の平板化、意欲の減退、自主性・自発性の低下、集中力・持続力の低下、社会編への適応困難があります。

20代の頃は喜怒哀楽といった感情が薄くなってしまい通算5年くらい引きこもっていました。働きたい、社会と繋がりを持ちたいと感じながらも、どうしてもやる気が起きない、社会に出るのが怖く感じて孤独と闘っていました。

30代になって引きこもり脱却しA型事業所に入りました。

4時間勤務でしたので体力的には楽でしたが、フルタイムで働いていた頃と比べてしまって「何で自分はこんな仕事をしているのだろう」と精神的にしんどい期間でした。

 

統合失調症はかつて「精神分裂病」と呼ばれていました。

しかし、この病名は人格を否定するものだとして2002年に「統合失調症」という病名に変更されました。

統合失調症は人格の荒廃に至る特殊な病気では決してなく、100人に1人はなる可能性がある身近な病気です。

統合失調症の根本的な原因はまだ解明されていません。

ストレスの脆弱性神経伝達物質のアンバランス、遺伝などいくつかのリスク因子が複雑にからみあうと考えられています。

 

僕の中で大切なことは、服薬を自分の判断で勝手に辞めないことです。

もう一つは小さな変化に自分で気づくことです。

僕の場合、薬をきちんと飲んでいれば再発の可能性はグッと減らせると考えています。

健常者の方と同じように社会生活をおくれることもできます。

不安はありますがとにかく定期的に通院して主治医によく相談することが大切だと思います。

小さな変化に気づくという事は、例えば「少しテンションが高いな」や「好きなこともあまりやる気が起きない」や「夜寝れないな」といったことを「自分で」気づく、つまり自分で病状を管理することが大切です。

これは僕も今実践中でこの先の人生でずっと続く課題です。

入院しないためには早めに小さな変化に気づくこと。

 

明日から仕事です。

働けることに感謝。

明日もファイティン!!!

ピアサポート

こんばんは。

今日はセカンドオピニオンの病院に診察・デイケアに行ってきました。

デイケアとは精神障害のある方が、社会参加、社会復帰、復学、就労などを目的に様々なグループ活動を行う通所施設です。

去年の8月に退院しましたが、まだすぐには働ける精神、体力ではなかったです。

そのためにデイケアが充実してる病院を見つけて、そこに通って体力・社会性を回復させようと考えました。

入院した病院にもデイケアはありましたが、年齢層が高くプログラムも少し物足りないものでした。

セカンドオピニオンの病院は幅広い年齢の方が和気あいあいとした雰囲気でいい空間だなと見学して感じたのでしばらく通おうと決めました。

見た目ではわからない精神障害を持っている方がほとんどで10代から60代くらいの方がいます。

プログラムも認知行動療法やマインドフルネスやヨガや季節のイベントなど充実しています。

4ヶ月通い、自分の症状をきちんとコントロールする事、前兆期に早めに気づく事、発症のトリガーを自分で把握することなど勉強になることがたくさんありました。

一番の収穫は人との出会いです。

2人の方と仲良くなりました。

仕事が始めりほとんどデイケアに通うことはなくなりましたが、今でも交流が続いています。

皆さんはピアサポートという言葉を聞いたことはありますか?

僕はデイケアに通って初めて知りました。

ピアは英語でpeerで仲間、対等、同輩を意味します。

サポートはsupportで援助を意味しpeer supportで「仲間同士の支え合い」を意味します。

健常者の方に対して、自分の障害について話すことは勇気がいりますし理解されないだろうと感じて中々話せません。

でも相手も何かしらの障害、病気を持っている方だと「この人になら話していいかも」と思えます。

交流を重ねる中で、お互いに悩み・困っていること・障害あるあるなど話すと心が軽くなります。

また、この人も必死に社会復帰しようとしている、就職活動をしていると思うと自分も多少辛いことがあっても挫けてはいけないと勇気を貰います。

これはやっぱり同じような経験をしてきたからこそ打ち明けられるのだと感じます。

家族や兄弟、支援員や職場の上司にはなかなか言えない事も話せたりします。

本当に良い出会いがあったと感謝しています。

 

僕も15歳の頃から色んな経験をしてきました。

僕のブログを読んで、「そういうことあるよねー」、「こういう時どういうふうに過ごしていたんだろう」といった興味を持っていただければ嬉しいです。

 

明日も休みなのでどこか出かけてリフレッシュしたいと思います。

読んで頂きありがとうございました。

明日もファイティン!!!

20代の頃仕事が続かなった話

こんばんは。

金曜日が終わりホッとしている僕です。

入社当初から同じ仕事内容ですが、最近はだんだんとモチベーションが低くなりつつあります。

機械に製品をセットしてボタンを押しての繰り返しなので、思考停止状態でやっています。

条件設定や投射材の種類の間違いはやってはいけないので、その辺りはもちろん仕事として注意しています。が、あまりにも同じことの繰り返しで精神が苛まれます。

何かこのままではいけないような気持になります。

このまま40代になっても同じ仕事してたらと想像するだけで悲しい気持ちになります。

すいません。愚痴を吐いてしまいましたm(__)m

 

転職するにしても障害者雇用の求人は少ないのが現状です。

僕の給料は県の最低賃金より10円高いだけです。

月給制が理想ですが、なかなか現実は厳しいです。

 

20代はとにかく職を転々としてきました。

居酒屋から始まり、うなぎ屋の皿洗い、パチンコ店、プールの監視員、引っ越し屋、ピザ屋、訪問入浴のオペレーター、自動販売機のルートセールス、変圧器製造の工場。

引っ越し屋は2日でギブアップでした(笑)

他は1年単位という感じです。

30代でようやく安定してきました。

A型事業所(単純作業)2年半、現在の鋳造工場、もうすぐ3年。

資格は普通免許、中型免許、フォークリフト、ガス溶接、ヘルパー2級、簿記2級、くらいです。

 

結局、35歳にしてまだ何者にもなれていない自分がいます。

ただ色々と経験してきて気づいたことは、モノづくりが好きということです。

自分が関わったものが自動車や変圧器やガス器具や水道部品に役に立っている。

そう思うだけで少し嬉しいような誇らしいような気持ちになります。

どんな仕事でも誰かや社会のために役に立っていると思います。

 

幸せになるかは自分次第だと思うので、とにかく一日一日を大切に楽しく生きたいです。

とにかく自分を信じて、何者かになれるように行動していくのみです。

 

読んで頂きありがとうございました。

明日もファイティン!!

障害者雇用の合理的配慮とは

こんばんは。

まだ使い方がわからないことがたくさんですが思っていること・考えていることを徒然と書いていきたいと思います。

 

今日は障害者雇用の合理的配慮について書きたいと思います。

身体障害者の場合は比較的わかりやすいと思います。

例えば、視覚障害がある方に対し、点字や音声などで採用試験を行うこと。

聴覚、言語障害がある方に対し、筆談などで面接を行うこと。

といった感じです。

では

精神障害の合理的配慮とは一体どんな配慮なんでしょうか。

僕の場合は、極端にスピードを求められるとパニックになるのでできるだけ自分のペースでできる仕事がいい、と会社に伝えました。

しかし、いざ入社して配属された仕事場はスピードが求められる場所でした。

そもそも、単純作業に一番大切なのはスピード(動きが早い)だと思います。

丁寧にやっていたらその分時間かかるわけですし。

巧遅拙速。

こうして僕の希望は砕けましたが、それでも何とか継続しています。

早いとか、遅いとかもうどうでもいいんです。

自分が正しいと思うやり方でやって遅かったらそれはもう仕方がないと思うようにしています。

 

他の精神障害の方がどんな合理的配慮を会社に伝えているかすごい気になります。

例えば、過集中してしまうから1時間に一回は10分休憩がほしい。

頭が疲れやすいので勤務時間を6時間にしてほしい。

悩みを抱えやすいので表情や様子を気にかけてほしい。

んー...なかなか難しいですね。

 

僕は今の会社に入社して2年10ヶ月です。今まで同じ会社に3年以上勤めたことはなかったので、あと2カ月頑張れば3年です。3年はとりあえず頑張ろう、と入社当初の思いは実現しそうですが、3年継続できたからといってこれといって自信がついたとか成長できたとかそんな感じは全くないです。ただ1年休職させてくれたこと、病院がある時は遠慮なく半日有休が使えることはありがたいと思います。

 

転職も考えないことはないですが、35歳にしてまた一から仕事を覚えて人間関係も築かないといけないと考えると現実的ではないなと感じます。

何か人より優れている知識、経験、技術があればいいんですけどね...

 

障害者雇用で働いている精神障害の皆さんは会社側にどんな合理的配慮をお願いしていますか?

 

今日はこの辺で。

明日もファイティン!!!