はるのブログ

統合失調症、鬱病、不登校、引きこもり、閉鎖病棟を経験して学んだ事

就労移行支援事業所、体験する

こんばんは。

3月下旬というのに外ではダウンをまだ着ています。

早く来い春よ。

 

今日は就労移行支援事業所の体験日でした。

13時から午後のカリキュラムに参加しました。

パソコンのPower Pointの勉強でした。

この歳になって初めて触りました。

最後、見本が提示されてこのように作って下さいと...

何となく形になったもののほかの利用者さんと比べると全くできていませんでした。

純粋に楽しかったです。

一応、簿記2級は持っているので、パソコンスキルを身につければ事務職や経理職も選択肢に広がりそうです。実務経験がないのが致命的ですが。

 

交通費も馬鹿にならないので、週1,2日通おうと思っています。

どこかに所属しているというだけで少し生活に張りが出そうです。

 

20代中頃は、自分の殻に閉じこもって2年くらい引きこもっていました。

その時と比べると、今は状態はいい方だと感じます。

 

焦らず流れに身を任せて、自分のやりたいこと・好きなことを仕事に出来るように日々過ごしていきたいと思います。

40歳が近づいていることに恐怖を感じますが(笑)

 

読んで頂きありがとうございました。

明日もファイティン!!!

いい年になってのも...の意味とは!?

こんにちは。

今日はスタッドレスタイヤからノーマルタイヤへ付替してもらいにディーラーへ。

タイヤ交換くらい自分でやれよって思われそうですが、不安が強くてプロに任せています。

 

退職から1カ月半くらいたちました。

犬の散歩が役割りなので生活リズムはいいです。

ただ、勉強にも身が入らないし一日ぼけーっと過ごしてしまう日が多いです。

 

先日、支援員さんとの面談がありましたが、何かやりたいことないの?、と聞かれ考えこんでしまいました。

大学進学の時は、世界の飢餓問題が他人事のように思えなくて、国連やNGOといったところで国際協力の仕事がしたいと思っていました。

 

病気がなかったらその道に進めていたのかはわかりませんが、少なくても今よりはいい生活(僕の場合は自立して結婚・子育てとか)ができていたのではないかと感じます。

 

入院中に知り合った方と1年くらい連絡をとっていました。

何に腹を立てたかはピンとこなかったのですが、最後のメッセージが

「いい年して親に甘えるな」

でした。

グサッと胸に突き刺さると同時に、できたらとっくにしてるわ!と幼稚な反論を心の中にしまいこみました。

言われた言葉よりも、いい人だなと感じていた人が最後の吐き台詞が上記のメッセージだったので悲しくなりました。

確かに36歳でまだ実家暮らしで仕事もしなくても生活できることは、親に甘えていると言われても仕方がないと思います。

ただ、自立できないのは、その人の背景に何かあるんじゃないか?、と思いやりの心を持つことが僕は人情のある人だと感じます。

別に誰かに迷惑をかけているわけではないので僕は今はこれでいいのだと考えています。

今の生活が一生続くわけではないので。

別れ際にその人の人となりが現れると感じた出来事でした。

 

病気じゃなかったら...と考えることはたくさんあります。

22歳で自衛隊の試験に合格したこと。

健康な体だったらきっと入隊していたでしょう。

当時付き合っていた女性と25歳くらいで結婚して子どもを授かっていたかもしれません。

PKO活動で世界の平和に貢献できていたかもしれません。

考えたらきりがないですね。

 

今はこの病気をしっかり受けとめて再発しないように自分の症状をコントロールできるようになることが人生の目標です。

順番にいけば親が先にこの世から亡くなるので、それまでになるべく早く自分の事は自分でできる自立した生活を送れるようになること。

親がいなくなったら自分でやるしかないので。

兄弟になるべく迷惑かけないように体調に気をつけること。

 

僕は何かを始めるのに年齢なんて関係なんて思います。

現実を見ろと言われそうですが、

「自分の可能性をひたすらに信じ、実現することのみを強く思いながら努力を続ければ、いかなる困難があっても思いは必ず実現します」

                           稲盛和夫 考え方より抜粋

良い言葉!!!

 

今週から就労移行事業所に通うことになったので、少しは生活に張りがでてくるといいです。やっぱり外に出ないと精神が病んでしまいますね。

 

読んで頂きありがとうございました。

明日もファイティン!!!

ありふれた日常のありがたさ

こんにちは。

春の陽気が気持ちいい季節になってきました。

桜もそろそろ咲いてくるでしょう。

 

先月退職してから1カ月と少し経ちました。

ストレスからは解放されましたが、仕事がないはないはで生活に張りがなくなってしまった気がします。

朝・夕方と犬の散歩があるので生活リズムはきちんとできています。

寝てばかりでは体も鈍るので、犬の散歩以外にもジョギングしたりバッティングセンターに行ったりして体を動かすようにしています。

時間はたくさんあるので、FP3級の勉強を少しづつやったりしています。

 

仕事をしていない自分を責めてしまうこともあります。

ハローワークの求人を見ていると求人数はわりとあるので、就活すればきっとすぐに就職先は決まると感じます。

でも、今はもう少しゆっくり、自分には何ができるのか?何に面白さを感じるのか?

じっくり考えてこれからの人生を決めたいと思います。

エネルギーを貯めること。

楽しいと思えることをすること。

 

入院中のことを考えると仕事をしていなくても、自由に自分の行きたいところに行けるだけでも本当に幸せなことだと感じます。

行きたいところに行ける。

食べたいものを食べれる。

飲みたいものを飲める。

夜寝れる。

朝起きれる。

家族がいる。

当たり前のようで当たり前ではないことだらけです。

感謝することばかりです。

 

1年くらい失業手当と障害年金で何とかやりくりしていこうと思います。

日本という国には障害者に対して手厚い福祉サービスがあります。

本当にありがたいです。

 

農業、語学、お金、ホワイトハッカー、福祉分野、、、

 

興味があることはたくさんあります。

20代、30代はよく言えば(笑)いろいろ経験してきました。

そろそろ自分の進路を明確にしていきたいと感じています。

36歳といういい年齢のおっさんですが気持ちは若く持って、10年20年楽しくて没頭できる仕事があるはずだと信じています。

 

間食が増えて体重が増加気味なので摂生して日々を過ごしていきたいです。

 

読んでいただきありがとうございました。

明日もファイティン!!!

20年何てあっという間

なかなか寝れないので自分の心境を吐き出すために書きます。

 

2月上旬で約3年勤めた会社を退職しました。

ストレスは無くなったものの何だか気力が湧かず無為に日々を過ごしています。

やっぱり社会との接点がなくなると孤独感に襲われます。

嫌な仕事でも、働いているというだけで自己肯定感は高まります。

 

先日、祖父・祖母の法要がありました。

何だか自分だけが違う世界で生きている感じがして、体調が悪くなって途中退席しました。

 

僕は中学校までは勉強がわりとできたので、県立の進学校に進みました。

偏差値68くらいの学校です。

でも、15歳の夏に適応障害を発症して勉強どころか学校にも行けない不登校になりました。

どうして自分がこんな目に合わないといけないのかと当時は毎日のように泣いていました。

一年留年しましたが、いい先生に恵まれて何とか卒業できました。

通知表は最悪でしたが(笑)

 

大学に進学したものの、病状が悪化して休学→退学となりました。

今思うと本当に勿体ないことをしたと思います。

 

それからはアルバイトや派遣、契約社員など職を転々しました。

 

そして27歳の夏、激しい興奮、幻覚、誇大妄想などが症状として表れ初めて入院しました。

病名は最初は双極性障害でしたが統合失調症に変わりました。

保護室は辛かったです。

シャワーも3日に1回ですし独房みたいなところにただひたすら時間が過ぎるのを待っている生活でした。

2ヶ月とわりと短期間で退院できました。

 

それから約2年引きこもっていました。

エネルギーが溜まったころにA型事業所というのがあるのを知りました。

食品関係のA型事業所で約2年半勤めて障害者雇用で一般企業に就職。

働きだしてから約1年後に再発。

約半年入院して半年デイケアでリハビリして復職。

1年頑張るも精神的に限界がきて退職しました。

 

仕事が続かない自分が嫌になります。

まだまだ自分は自分に対して甘いなと感じます。

両親も70歳を超えて年金生活です。

しっかりせねばと感じます。

 

15歳の頃から20年経った今。

僕は成長できているのだろ?

これから何を選択して何者になるのだろうか。

 

周りと比べることは辞めました。

僕は健常者の人が普通にできることができないことが多い。

どうにか自立して自分の足で生活できるようになりたい。

 

20年何てあっという間。

年をとるごとに1年が早く感じます。

 

一度きりの限られた人生。

楽しく仕事して、楽しく生きたいですね。

 

さて、頑張るぞー!!!

空振りハローワーク

こんにちは。

今日はわりと早めに起きることができたので、求人の相談にハローワークに行ってきました。

障害者雇用の小学校の用務員の求人が気になったので、紹介状をもらうつもりで行きましたが、結局手ぶらで帰ってきました。

 

相談員さんは丁寧な対応をしてくださる感じのいい相談員さんでした。

今、休職中というあまり体調が良くない中で新しい環境に適応できるのか?

会計年度任用職員ということもあり最長でも3年契約なのでその辺りはどうなのか?

主治医はなんと言っているのか?

 

自分の中では応募する気満々だったところ、確かに言われてみればそうだな、と感じるところもあり応募するのは今回は辞めることにしました。

 

今まで色んな業種・職種を経験してきましたが、わかったことはあまりにも単調な作業は2,3年続いてもどこかで行き詰ってしまうということです。

 

自分が人より優れているところってなんだろう。

やりたい仕事より、そんなに自分では努力しているつもりがなくても他人より秀でていることを仕事にした方がいい気がします。

 

簿記2級取りましたが何の役にも立ててない(笑)

 

今の仕事は1月いっぱいで退職して失業手当と障害年金で半年くらい乗り切ろうと考えています。

ただやみくもに資格とったりスキルアップをするのではなくて、自分を一回棚卸しして仕事を探そうかなと思います。

 

読んで頂きありがとうございました。

明日もファイティン!!!

退職を考える統合失調症の私

こんにちは。

久しぶりのブログです。

私は統合失調症という障害を抱えています。

年明けから体調を崩して現在休職中です。

1月末までですが今回で2回目の休職となるので退職しようと考えています。

仕事内容は単純作業です。

最初は人と話さなくていいし黙々とできる仕事だったのであまりストレスを感じなく仕事ができていました。

しかし、一昨年再発して入院して仕事に復帰してからは単純作業が苦になってしまいました。

一度きりの人生、楽しく生きたいと考えるようになったからです。

15歳で適応障害と診断されてました。

高校は一年留年して卒業しましたが、大学は中退。

それからは職を転々として正社員として働きはじめても1年ももたず退職しました。

そして、20代の半分は人生に絶望して引きこもっていました。

30歳の頃にA型事業所で働きはじめました。

約2年半働いて少し自信がついたので、一般企業に障害者雇用で働き始めました。

それから約3年。

何も成長がなかったと痛感しています。

もっと積極的に仕事に取り組めば成長を感じられたかもしれません。

どうやったらこの仕事を好きになれるか?

そんなことを考えながら働いてきましたが、3年たってもその答えが見つかりませんでした。

今までは仕事が嫌でも生活のために会社には行けていました。

ほとんどの人がそうだと思います。

何となく、「自分はもう大丈夫。仕事も長く続けられる」と考えていました。

でも、11日に当日欠勤してそのまま休職することとなりました。

勤務時間も6時間にしてもらって配慮してもらっていた結果がこれです。

きっと復職してもまた単純作業に嫌気がさして繰り返してしまうんだろうな、と直感的に感じます。

退職するつもりでいるので、またゼロからのスタートです。

自分は何ができるだろう?

何をしてると楽しいと感じるのだろう?

人生は有限です。

当たり前に明日がくるとは限りません。

だからどうせなら楽しく仕事して笑って生きていきたい。

 

統合失調症は100人に1人の確率で発症する障害みたいです。

どうして自分が?と20代の頃は考えていました。

でも、病気になったからこそ気づくこともあり出会いがあり今があります。

夢や青春は病気によって奪われました。

周りにはもっと大変な思いをしてる人がいる。

そう言われても今まで心に届くことはありませんでしたが、年齢を重ねると確かにそうだなと感じる部分もあります。

 

能登半島地震で現在も避難生活をされてる方がいる。

世界に目を向ければ、戦争で多くの女性・子どもたちが犠牲になっています。

 

自分の足で歩ける。

手が使える。

水が飲める。

トイレがある。

食べれる。

 

入院生活を通して当たり前のことが当たり前じゃないことに気づきました。

でも、人間は愚かなもので日常生活に慣れてくるとそのありがたみが当たり前なものだと感じてしまいます。

 

これからどんな人生になるかは自分次第。

幸せになるかどうかも自分次第。

感謝の気持ちを忘れずに日々を送っていきたいです。

人生は有限です。

図太く生きるはなし

こんばんは。

スポーツの日でしたが残念ながら天気は雨。

祝日は仕事なので今日からまた一週間が始まりました。

 

9月の最後の週に勤務中に軽いパニックになってしまい早退しました。

製品がとめどなく流れてくるので、あれもやらなあかん、これもやらなあかんと一人で勝手に焦ってしまいキャパオーバー。

上司には別に溜めてもいいよと言われましたが、あんまり溜めすぎると気持ちが悪い。というかできれば滞りなく捌きたい。

結局、僕は手が遅いのでしょうがないことなのですが、、、

早退した日に8時間勤務から6時間勤務にして欲しいと上司に相談しました。

上司から現場に話は伝わってると思いますが、2週間たっても未だに話は進んでいません。

6時間に出来ないなら出来ないで一言欲しいところです。

「ごめん。何とか8時間で頑張って」

「今対応中だから1カ月辛抱して」

何でもいいので一言欲しかったです。

障害者雇用の合理的配慮は一体何なのでしょうか?

休職1年間させてもらったので精神障害に対して理解がある会社だと感謝していました。

でも、みんながみんな理解がある訳ではない事が今回の件でわかりました。

他人は変わらないので、自分が変わるしかないです。

 

僕はどちらかというと繊細な性格で細かいことにも気がいってしまいます。

仕事に対しても誠実に真面目にやってきました。

 

でもこれでは継続するのは難しいなと最近といいますか今日感じました。

仕事は1割の力で。

これで十分だと感じました。

いい意味で馬鹿になろうと思います。

少し図太くなれた気がします。

 

一番大切なのは家族、友達であって仕事の上司、先輩ではありません。

働くことに自己実現を求めると、僕の現状苦しくなります。

あくまで生活するための手段としてやる(ほとんどの人がそうだと思いますが)心構えでやると気が楽になります。

 

今月末で満3年。

5年、10年と続くかはわかりませんが、しばらくは現状維持でいきたいと思います。

再発させない事が大切です。

 

読んで頂きありがとうございました。

明日もファイティン!!!